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ToDoはリスト化するのではなくてスケジュール登録することが捌くためのコツ

ToDo(具体的にやること)は、ToDoリストで管理するのではなくて、スケジューラに登録することがポイント。ToDoが発生するということは、何かしらのタスクがスケジューリングされているということで、逆算したら「必ずそのことを完了させないといけないタイミング」が出てくる。ToDoリストでアラーム管理などできるが、マルチタスクは効率悪いわけだし、いくら分類しても忘れるので、、、というか、適したタイミングで思い出したり、脳に記憶して然るべきタイミングが来るまでに、意識的にも無意識的にも前処理を効率的に行うためにも、スケジューラに登録するのが良い。

これが、僕のしごと術の一つ。

自分で自分の人生を選択するための3つのコツ。→人間の仕組みを知って行動する。

自分の求める人生を手に入れるためには「自分がどういう人生を求めているか・夢は何か」を明確にさせた上で、人間の特性を把握しつつ、行動に落とすことが必要だ。

1つ目のポイントは、前回投稿したRASという脳の機能だ。RASは、実生活であふれている情報から脳を守るためのフィルタで、何をフィルタするかは自分自身が設定する。

その設定は、意識的にも無意識的にもできるが、無意識に設定する場合は自分の望む人生のためでなくて、他の誰かの望む人生を基準に設定してしまっている。具体的には、育った環境によってセットされている。家庭環境含む自分が育った環境で、自分が認識せぬままRASが設定されてしまっている。

意識的に設定すること。RASを理解して、人間を理解して、自分が人生において何をしたいのか、自分の人生の成功はこうだ、という定義をして、ビジュアル化する。一度でなく何度も。毎日。そうすることで、RASというフィルタを意識的に設定することができて、結果、そのために必要な情報だけど自分の脳にインプットできるようになる。

夢・人生の目的、そして自分の幸せを明確に設定する。そして(そうすることで)、RASを活用して必要な情報に日々注力できるようにすることがポイントだ。(そうすることで、人格をも形成できる)

2つ目のポイントは、継続と毎日の振り返りだ。エビングハウスの忘却曲線は有名だが、人間は忘れる生き物だ。人間が生きていくためには忘れることが大事だから。けれど、大事なこともそうではないことも、等しく忘れていく。忘れない(忘れにくくする)ためには、強烈な刺激と、思い出すことが必要だ。意識的にこの仕組を生活に取り入れる。

具体的には、写真や文字など目に見えるように自分の人生を示して、毎日見る。壁に貼る、天井に貼る、手帳にはさむ、ノートにはさむ、PCに貼る、何でも良い。とにかく、毎日見るように工夫する。そして、毎日思い出す。

特に、最近は情報過多な世の中なので、目先のことばかりに囚われていると、大きなもの=自分の人生を見失う。目先のことは現実で具体的なので分かりやすい。人間は、具体的なことが好きだ。なぜなら、安心できるから、迷う必要がないから。例えば、何かをしようとしてスマホを見ると、SNSアプリの通知が来ていたり未読件数がバッヂ表示されていたりしてついつい見てしまい、結局自分が最初になにをしたかったのか忘れてしまった経験が誰しもあるのではないだろうか?これは、数値で表示されているという超具体的なことに目と意識を奪われた例だ。人間は具体的なことが好きなので。操作されてしまうといっても過言ではないのかもしれない。

なので、意識的に自分の人生のための具体的なものを目先に置いておく。毎日、日々なんども見えるようにする。そうすることで、前述のRASも強化されるし、自分のやりたいことも忘れないようにすることができる。

日々の継続と振り返りのために、具体的に見るものを、生活に取り入れる工夫をすることが肝要だ。

3つ目のポイントは環境だ。

人間は強くも弱い生き物なので、調子が良い時もあれば悪いときもある。それは仕方ない。なので、自分の身を置く環境はとても大事だ。周りを自分が共感できる人で固めること、そして語り合うことが重要だ。お互いに助け合い、高め合う関係性を作れれば、より自分の夢に近づけることができるだろう。

最後に…、

自分で選択できることは、積極的に行動して手に入れる。要するに、やればできるのだ。簡単なことだ。やってもできないことは仕方ない。けれど、やればできることはやれば良い。そう考えると、やる気も増してくるものだ。

The Power Of Visualization.

イメージすること。しかも強烈に。

心の底から望んで、信じて、常に意識するようになることが大事。科学的には、脳のRASという機能を指すが、日常溢れている膨大な情報から、自分の夢に必要な情報だけどピックアップして取り入れるためには、RASを意識することが大事で、そのためにはビジュアル化することがセットでついてくる。

継続して、考える。頭に刻む。

情報との付き合い方→処理速度を倍化させるための心構え考えてみた。

情報にあふれている時代。自分で取捨選択しないと、誰かに操作せれてしまう。そう、自分で考えないと、他人の人生を歩むことになる時代になっている。実は何世紀も前からそうなんだけど、テクノロジーの進化が進化した最近と、これからの未来は、特に自分で間考えて自分の人生を意識的に歩む必要がありそうだ。

さて、今回は情報との付き合い方を考えてみた。いくつかあるが、今回述べたいことは1つ。それは「沢山読むこと、インプットすること」だ。

そのために、「インプット」+「インテリジェンス」の心構えが必要だ。

単にインプットするよりも、自分のインテリジェンスを加えた方が、より自分の成長・進化が速い(早い)。

自分のインテリジェンスはアップデートされていく(されていくべきもの、←ここにも成長する気概がないといけないが…)ので、インプットする度に成長するに、成長したインテリジェンスを活用することで、より効率的にインプットできて、その分自分も成長できる。プラスのループが生まれること間違いなしだ。

具体例としては、ニュースサイトの斜め読み精度、が上がるので、インプットが高効率化する。

世の中にもニュースサイトや情報発信しているサイトが沢山ある。その中から自分に有益なものかどうかは、インテリジェンスを兼ね添えたインプット=読むことが必要で、要するに意識して沢山読んだら「この記事の書き方だと自分に有益そうだ」ということがなんとなく分かってくる。

こうなると、気になった記事は数十秒ぐらいで斜め読みして有益かどうか判断できるので、有益と判断したらゆっくり時間を取って読んで見る。

こういうテクニックが備わっていない場合は、何でもかんでも精読しようとするので、積ん読になるし、そもそも疲れてしまって、とりあえずブラウザのタブは開いていているけど、読まないままでずっと開きっぱなし、ということが発生する。そして、いつまでも消えないタブを眺めては、自分のどうしようもなさに呆れたり、なぜかタブからプレッシャーを感じたりしてしまう。これでは、プラスと思ってやったことがマイナスでしかない。最初からしない方が、まだましだ。

なので、ななめ読みするテクニックを身につける。それにはインテリジェンスが必要だ。インテリジェンスは自分の経験から培ったものでも良い。培うためには、まずは多読が必要だ。なので、最初はとにかく開いたらすぐにななめ読みする癖をつける。

ななめ読みして、気になったらPocketとかのサービスを使って蓄積しておけば良い。あとから気になったら読みかせるから、タグも閉じることができて、達成感満載だ。達成感を感じると気持ちが良いから、ガンガンななめ読みしまくる。結果、ノウハウも溜まる=自分のインテリジェンスを鍛えることができるので、よりインプットの効率が上がる、というわけだ。

自分インテリジェンスを意識しないと前に進めない。今の時代は知力が物を言うのは確実だ。考えて知力を尽くして前に進み続けるのが肝要と考える。

I wanna POWER.

力があれば、人を救える。

力があれば、目の前の不条理を少しでも解消できる。

力をつける。

本を人だと考えると、付き合い方が変わる、という持論。

気になった本はできるだけ買うようにしている。そして読むようにしている。直感的にも、そうじゃなくても、気になったら買うようにしている。

例えば、書店に行って平積みされている本で、気になったものは間違いなく目次まで見る。そして、数ページだけななめ読みしてみる。そうすると大体自分に合うかどうか、今の自分に必要そうかどうかなんとなく分かるので、ピンと来たものは買う、という具合だ。

オンラインショップはもっと早くて、直感で良さそうと思うものはポチっている感じ。

そういう風に買っていると、必然的に読む量・読める量よりも、本の数が多くなる。要するに「積ん読」が始まる。僕は積ん読が結構すごい方だと思う。

読めてない本たちを見ると、なんだか申し訳なくなってしまう。これでは本末転倒だ。平日休日関係なくて、色々と活動しているので、どうしても夜は疲れるし、疲れると読書する気も下がってしまうものだ。

ふと考えた。本を本と思うのではなくて、人と思うとどうなるだろうか、と。

人だとすると、購入=打ち合わせの約束、な気がするので、読まない=打ち合わせに行かないということになるだろう。それって、失礼だし不義理だし、絶対にやりたくない。

忙しい時でも、少しでも良いから合って話をする。電話でもオンラインでもテキストのやり取りでも良い。少しでもいいから連絡をする。

そう思うと、1ページでも読むのが、本に失礼じゃないような気がする。これは大事だ。よし、疲れていても読もう=会って話そう。

次に、本を手に取って読む場合。打ち合わせに目的やゴールがあるように、その本と相対するときにも目的やゴールはある。そして、限られた時間でちゃんと打ち合わせて結果を出すためには効率的に進める必要があるように、読書も効率的に進めるのが良さそうだ。

これは今もやっているとおり、タイトル>目次>気になった部分を詳細ななめ読み>目次に戻る>…の繰り返しで読もう。本を人だと思えば、もっと効率的にスピーディに読める気がする。うん、やってみよう。

書いてあることの20%でも頭に入ればOKだと思う。人間は忘れる生き物だ。人と話をしていても、一言一句覚えているなんてなかなかない。ポイントを掴んでおけば人と会話をすることはできる。本も同じだ。そして忘れたと思うなら、再読すれば良い。

本は著者の主張の塊だから、要するに著者と会話することと同じ。本を著者と思う目線とに、人と思う目線をオーバーラッパすれば、もっと良い読書ができるような気がしてきた。よし実践だ。

境界線とバランス。

「自分勝手」と言われる人は沢山いると思うけど、よくよく考えてみると人間は誰しも自分勝手であって、そんな中で自分勝手と他人から言われる人は結構興味深いと思う。

とどのつまり、バランスの問題なのだろう。

なにかの基準があって、相対的に自分勝手の度合いが高い人が、自分勝手と言われているのだろう。

明確な基準=境界線って、きっとない。千差万別。自分の置かれている環境によってもその境界線は(微妙に)異なるはずだ。なぜなら、自分の属する母集団においての相対評価だからだ。生まれ育った環境とか置かれている環境によって、母集団における相対評価は変動する。

結局、なんでもバランスなんだ。

自分勝手も自分勝手じゃないも、バランスなんだ。

人生において、このバランス感覚はとても大事な気がしてきた。

片方によると自分勝手(=自分を守れる)、もう片方によると相手に合わせる(=自分が守れない)となるケースもあると思う。アサーティブにコミュニケーション取るためにも、バランスを意識した、ニュートラルな視点を保ちたいものだ。

ところで、先日、バスの所在地を示す電光掲示板の真下を観察してみた。路面に反射する光が妖艶な感じで電光掲示板の真下を飾っていた。よく見ていると境界線が分からなくなるような、そういうエッジの聞いた雰囲気がステキだと思った。

これもある種のバランスだと思う。明確でもあり、曖昧でもある境界線を持つこの景観は、色々と思考を巡らすことができる、僕にとって、良い出会いだったと心底思っている。

A boarder.

読書の仕方。

どうも、読書の仕方も工夫が必要だと感じる。読む本によって、ジャンルも違えば内容も違うのは当然なので、すべての本に対して同じ仕方で読むよりも、本によって読み方を変える方が、どうやら効率が良いようだ。

僕の場合、右脳系・悟り系の本だと、じっくりと考えながら読む方が合っているので、どうしても時間がかかる。

自己啓発系の場合は、速読しやすい。タイトル>目次>キーワードだけを読んで、本の20%を把握できればよいという感じで読むからだ。

こう考えると、乱読ではないけれど、少なくとも2種類の本を並行しつつ毎日読書することはできそうだ。今まではどちらかというとシーケンシャルに考えていて、この本を読み終えたら次の本を読もう、という気持ちが、表面に出てないにしろ内面にはしこりのように残っていて、どれもこれもと読もうとしている自分に一抹の罪悪感を覚えていた気がする。

そんなこと思わなくて良い。本も待ってくれている。少しでも読んだほうがきっと喜んでくれる。読書の仕方も変えてみて、どうなるかを試す、今日今から。

新緑と気付きとバランスと。

Seeing.

コロナもだいぶと収束モードか。第二波が心配ではあるけれど、今のところだいぶと日常生活を取り戻しているような気がする。

今日は、新入社員候補の面談。ストレス耐性もありそうだし、ストレートに物を言う姿勢が、つっけんどんだと表面的に思う一方で、根はマジメなんだろうという気にさせて、50−50という感じの人材だった。気軽に雇用して気軽に解雇する、ということはしたくないので慎重になる。考えた結果、まずは試用期間ということを了解して来てもらうことに。

面接では、表情や仕草だけでなくて、細かな所作も見る。見るというか、自然と見てしまう自分の性格。面接には向いていると言えるのかもしれない。

細かな所作とは、モノを手に取る指の先、部屋を出る時の背中の雰囲気、ものを話す時の唇や目の動きなどを含めている。その最後の一瞬、文字通り「刹那」に、その人の真実が出ると思う。

なぜなら、日常的に気をつけておかないと身につかない部分だからだ。

話変わって写真について考えてみると、この細かな部分に気がつくという性格は、これまた向いている気がする。

季節ごとに変化する景色や、植物、自然などに目が行く。何度見ても飽きないし、何度見ても新しい発見があるから、自分の観察力に磨きがかかるし、また反省や振り返りもできるから楽しい。

目の前のことに集中する、ということも意識的にできるだろうし、そうすることで今を生きることができる、ということも分かる。

局所が分かれば、対局も分かる気がする。人は無意識=宇宙でつながっているのだろうな、と思える時もある。陰と陽、静と動、明と暗。

時と場合によって、どちらの意識に厚みをもたせるかは自分の中で調整する必要がある。冒頭に書いているとおり、こと面談では局所的な目線に厚みを持たせたほうが役に立つだろう。

最近、特に局所・大局を意識することが多くなった。写真は自分の心を表現できるツールだから、自然と写真に反映される。ピントを合わせない写真が多いのは、そういう心境の変化(成長)があるからだろう。

局所を知り、大局を知る。そして、そのことをアート的思考を持って写真で表現する。どうやら、これが(今の)自分のやり方のようだ。突き進む。