キャパシティ。

定性的な表現は、それぞれの感覚による。

  • がんばっている
  • いそいでいる
  • 焦っている

など、そういう感情的なものの表現は、話し手と受け手の理解に差が生じる。

おもしろいのは、話し手も受け手も、それぞれの定義で話をして、それぞれの定義で受け取って、それを不思議だと思わないから、お互いが意思疎通できていると場合があることだ。

ミス・コミュニケーション。けど、ミスじゃないコミュニケーション。

よくよく話を聞いて、できるだけ定量的に、具体的に確認し合うと「あれ?そんな程度だったの?全然忙しくないじゃない、それって」ということが起こる。

キャパシティの問題ってのもあるのかもしれない。

そして、さらにおもしろいことは、そういう定性的な表現やコミュニケーションの方が、人を感動させられる・共感させられるかもしれない、ということだ。

定量的な表現はとても分かりやすいけど、どうも左脳で受け取る感じ。

定性的な表現は、あやふやなことが多いけど、共感を得られる。

人間っておもしろい。l

自分本位。

人の気持ちも考えず、自分のために人に好き勝手言う人っているんだなって思った。びっくりした。良い大人が何をやっているんだ、と。

ただ、実はそう言う人の方が世の中多いのかもしれない。

人間、誰しも自分が一番可愛い。

けど、相手を慮って言動するって、社会を生きる人間として、必要最低限のマナーな気がする。

余裕がなくなると、匂いも味もしないくなるんだな。

インスタントお味噌汁の、ワカメの匂いが分かった。

トイレの芳香剤の匂いが分かった。

お味噌汁は、インスタントだけど、「ワカメ」とか「長ネギ」とか書いてあって、微妙に味や具材が違うのを楽しめると思って買ったのに、全然違いが分からなかった。もっと言うと、匂いもなくて、「まぁ、インスタントだから仕方がない」と思っていた。

トイレは、可愛い紫色のキャラの芳香剤を発見して、ラベンダーも紫色も好きだからと、珍しく買ってみたのはいいものの、使ってみたら「ん?全然匂いがしない。換気扇のせいか?」と思っていた。

そのどちらも、匂いがした。正確には、匂いがしていた。

きっと、切羽詰まっている今の自分が、食事をしていても、用を足していても、目の前のことではなくて、違うことに集中していたり、意識を向けていたりするから、気づかなかったのかもしれない。まさか、五感を凌駕していたのか、自分の思考は。ネガティブな感情に囚われていたようだ。

人間、余裕が大事だなって、思った。

焦燥感。

何もできない自分と、どんどん進めていく周りのメンバ。焦る。

比較してしまって、焦る。自分が小さいと思うし、何もできていないと思うし、だから居場所がないと感じてしまっている。焦る。

下の根っこの喉の奥を、小さな手でグッと掴まれいてる可能な咽頭部の違和感。胃がキュッと上がったままな感じ。胃液も上がってきて、今にも口の中に広まりそう。

日中は頭がぼーっとするし、今にもふらついて倒れそうになる。

肺は痛い。1年ほど前に自然気胸になった。その時は、左肺だったけど、今は、左肺も右肺も痛い。万全じゃない状態がここ1ヶ月は顕著だ。

こんな状態だけど、どうにかしたい気持ちは空回って、焦る。どうにかしたい、本当にどうにかしたい。

周りに迷惑をかけていることも分かる。何も貢献できていない自分に対して、白目をしている人もいるような気がする。陰口を叩けれているのは確実。大人になって、こういう体験をしようとは思わなかった。

辛い。

ただただ辛い。

「命までは取られないから」と周りは言う。けど、その周りもどこまで信じていいのか分からなくなる時がある。人間不信に陥っている?

いつかわ終わるとか、前向きに考えろとか言う人もいる。暗闇から抜け出せる時がくるのだろうか。

きっとくる。そう思っては、もがいて、もがいて。

きっとくる。そう思わずにいられないし、もっと窮地を打開した人はたくさんいるだろう。だから、きっと大丈夫。自分は運がいい。

そう思っては、次の瞬間には暗い気持ちになる。その繰り返し。

これが「良い経験だった」と笑える日が来ることを切に祈る。きっと乗り越えられる。

きっと、日はまた登る、はず。

貢献できないってとても寂しい。

炎上案件が始まって4ヶ月ほど。お客さんも癖があって、サポートメンバも続々増えていて、誰もが対応したくないと言っている状況。

自分の案件ということもあり、周りには本当に申し訳ないと思っている。少しでも貢献したいとか打破したいと思っているのだが、経験がない業務で全然力になれない。

思考が停止している自分に気づく。忸怩たる思いに支配される。

週末に、気晴らしにNetflixで「ダンジョン飯」なるアニメを見た。おもしろかった。

第2話で、ハンドレークを引っこ抜いた魔法使いのマルシルが、「みなさんのために、何も力になれないのは寂しいです」と言っていたのが刺さった。今、そんな気分。

それにしても、ダンジョン飯ってこのアニメ、人気が出ている模様。Yahooニュースでも、以下のとおり取り上げてあった。

<ダンジョン飯>“残念エルフ”マルシルのかわいさが詰まった第2話「千本木のアホ演技が良すぎる」「じわじわ来て吹き出す」と声優にも絶賛

マルシルのキャラが良い。喜怒哀楽が明確で、自分の気持ちを率直に表現するのが、なんとも気持ち良い。自分が我慢しまくっているから、余計に魅力に感じるのだろうと思う。

声優(千本木さん)の演技も素敵。

第三話目以降の楽しみ。こういうマンガに出会えてよかった。

全てがコモディティ化したとしたら。

テクノロジが超進化していて、そのスピードは増すばかり。行き着く先は、コモディティ化だと思っている。それは、資本主義社会においては、大多数の人が同じ年収レンジにいて、同じような資金・スタイルで生活をする、ということだと思う。

こうなると、単価の高いサービス・コンテンツは、表層的な欲望を満たすものに偏る気がする。即ち、観光、高級グルメ、高級品などだ。

対して、日常では単価が安いものがより好まれるようになるから、元気玉的なビジネスをうまく展開する必要がありそう。

と、ふと思ったのでとりあえずメモ。

DX・スマートシティ関係で考えたことのメモ。

最近はNFTでのまちづくりの取り組みが盛んになってきていると思うけど、両輪で考えたいのは、やっぱり人材育成だと思った。

僕はテクノロジ大好きだけど、あえていうならば、テクノロジは所詮ツールであって、目的ではない。スマートシティの目的は「住民のWell-beingの向上」だ。そのためには、内発的な要素が必須だと考えている。

内初的な要素=自分の内側から湧き出てくる何かを明確にするために、必要なのは「思考」であって、

  1. アート・シンキング
  2. デザイン・シンキング
  3. ロジカル・シンキング

が、人の発育・発達状況に応じて活用することが、きっと大切。

NFTとかでのまちづくりは、関係人口の増加がだいたい目的になっていて、それはつまりテクノロジをプロモーションの材料にして、その地域の知名度を向上させることが第一義となっていると理解している。

かつ、新目のテクノロジを活用するってだけで興味を持ったり参加したくなったりする人がいるだろうから、知名度アップに加えて交流人口増加の期待・確率も高まるのかもしれない。

とはいえ、重ねるがやはりツールなので、飽きたり興味が薄れてしまうリスクもある。自分の外側から持ってきたものは、なんであろうとこうなる運命にあるように思う。だから、自分の内側から湧き出すなにかが必要だろう。

特にアートは、「自己探究、表現、創造」が本質だと思っている。そして、それらの行為は、自分との対話=自分の内面から出てくるものであって、場合によっては継続的に何かを生み出す人を育てることにつながるのではないか。

ひるがって持続性についても少し述べたい。資本主義で持続性を担保するためには、平たくいって「儲かるビジネス」になるかどうかが、非常に重要。人材育成のビジネスの難しさは、「効果が出るまでの時間が長い」「効果が出るか・習得したものをどう生かすかがイメージしづらい」「受益者と出資者が異なる場合がある」だと思う。

ただし、これも、これからの時代=Well-beingが注目される時代になれば、きっと社会の受け入れ方が変わったり、市民権を得られたりすると期待している。

ぐだぐだ書いたけど、やっぱり「アート・シンキングを活用した人材育成ビジネスを展開して、国力をあげる」ことをしたいってこと笑

会話における言葉の定義。

同音異義語って、ままあるもんだ。

人は、自分の言葉で会話をするから、いわゆる「同音異義語」的なものがあって、お互いが会話をしているつもりでも、実はすれ違っているだけ、ということもある。

今までも経験してきたことだが、最近も経験した。

例えば、「これはもう、腹を括るしかない」という言葉。

炎上案件の真っ只中で3ヶ月ほど経過している中で、社内メンバから「腹を括るしかない」という発言があったが、どうやらここでいう「腹を括る」とは、『今の案件のお客様専属のチームを、10年とかの中長期スパンで構築して対応していくしかない」という意味らしい。

そうとは知らず、単に炎上案件でも逃げずに最後までやり切る、という意味で「腹を括る」と言っていると解釈していた。だから、いくら経っても会話が成り立たないし、こちらもがんばっているのに、意思疎通というか、信頼関係が築けなかった。

ちゃんと話を聴くって、傾聴に加えて理解もするってことで、そのための質問も適度に行うのが吉。

よく話をした方が良いってことか。言葉の定義って、辞書的なものはもちろんあるが、各自のオリジナリティある意味合いや使いかもされているケースがあるから、同音異義語だなって思う。

今後は、少しでも違和感があったら、意味を確認するようにしよう。できるだけすれ違いの少ないコミュニケーションを心がけるために。

Macbookのデスクトップ切り替え+トラックパッドが便利すぎる。

分け合ってMacbookを最近よく使っている。

Linuxを普段使いしようと決めて、1年くらい経過した。Linuxも普通に使える。

ただ、どうしてもMicrosoft Officeを使う必要が出てきて、Macbookにインストールしたくなkったのだけれど、Winマシンを買うのはもっと嫌だから、ということで、泣く泣くインストールして使い出した。

そして、非常に残念なことに、Linux版のMS Officeって売ってない。だから、Linuxではできない。

ということで、Macbookをここ2、3日使っている。

が、やっぱり思うのは、トラックパッドがとてつもなく使いやすくて便利ってこと。操作性も最高だし、機能も最高。しかも、デスクトップ切り替えがパパッとできるから、作業効率も爆上がり。

操作性は、やっぱりApple製品が群を抜いて良いと思う。

  • Todoistもデスクトップアプリがあって操作性UP
  • zipファイル暗号は、Kekaというソフトで問題なく便利に扱える
  • MS Offide for Macは、まあまあ使いやすい。(文字ズレとかは未確認

ああ、これでLinuxからMacbookに戻るのかな…。けど、Linux好きなんだよな…。よくよく考えよう。

解像度を上げて人に伝えるのが苦手。

人に伝える・伝わるって大事なんだけど、簡単じゃない。特に、解像度を上げて話したり、「あ〜、分かる分かる」って共感をもらうような丁寧な?センスある?文章を書くのが、自分はどうやら苦手な模様。

読み手の時間を考えてしまって、サクッとシンプルに書くのが好き。ただ、その塩梅が分かっていないのだろう。

  • 誰が読み手?
  • 読んだ後にどうなってほしい?

を明確にしたら、逆にある程度の時間をもらって読んでもらっても良いよいね、と思えるのだろうか。