雇用の難しさについてのメモ。

経営側に立ってみると、人を雇用することの覚悟と難しを度々感じる。

雇用される側だと、採用試験を例に挙げるならば、試験に合格することが難しいとばかり思っていて、雇用する側のことは考えていなかった自分がいる。なので、意外な発見だった。とてもありがたい経験だ。

さて話を本題に戻す。

海外(アメリカとか)のようにもっとドライに考えて良いのかもしれないが、今の所はドライに考えることが難しい。何を言っているかと言うと、雇用する場合は自分の社員になってもらうわけで、やはり自分の社員には幸せになってほしいし、人生の一部を共有しあうことになるわけだから、単発でなく継続して幸せになってほしいと考える。即ち、使い捨て感覚になれないわけだ。

一方で悩むのは「この人は、自分の会社にどの程度貢献し続けてくれるのか」ということ。

ビジネスは社員の幸せと、納税によるその土地の潤いアップ(ひいては国力アップ)が存在価値だと思っている。そのためには、最低でも事業成績=売上は維持することが必要だし、毎年の売上げアップを目指すものと心得ている。そのためには「優秀な社員」が必要だ。

「優秀な社員」の定義はその会社によって異なるだろう。業種や企業文化、ビジョンなどから決まってくるからだ。

優秀でない社員を雇用すると、お互いに苦しい。lose-loseの関係になってしまう。なので、お互いに見極めることが大事だ。この方(この会社)は、会社(自分)にとってwin-winになれる存在なのだろうか、と。

採用で厄介なのは、採用担当が、人を見る目を持っているか否かが一番だと思う。そして、「自立できずに会社に寄生する優秀でない社員」を採用してしまったら大変だ。

そういう社員は、成果を出せないばかりか、周りの迷惑になることをしたり、会社にとっての抵抗勢力になる場合があるから面倒だ。

冒頭のとおり、ドライに考えると解雇した方がお互いに良いはずだ。ただ、寄生タイプはlose-win(会社-その社員)となるので厄介なのだ。こちらとしては、幸せになってほしいと思っているが、他の社員にも同様に幸せになってほしいので、何度説得・説明しても会社にやり方を合わせてくれない場合は解雇せざるを得ないのだが、解雇宣言をすると営業妨害のようなベクトルに向いてしまう場合もある。

一見して人を見抜くことは簡単ではない。が、採用担当も経験を積んだり自己研鑽することで、その精度を上げることは可能だと思われるので、良い意味でゲーム感覚と思い楽しみながら取り組んでほしいと思ったりする。これは自戒の念も多分に含まれる。

ところで、寄生するというと僕の中では「飽き」という文字が自然と浮かんでくる。なぜか説明できないが、寄生という言葉に対して「創造性がない」と感じてしまうからだ。創造性がない状態を、僕は「飽き」だと思っていて、飽きるのは、新しいことを求めている証拠・タイミングだと捉えている。

先に進むための一つの方法は「創造」だ。新しいことを自分で創造して、飽きをクリアしていくことを継続できれば、もはや寄生という言葉すら出てこず、市場価値の高い一人の人間として、寄生されるぐらいの存在になるだろう。