日別アーカイブ: 2020年8月30日

エッセイという書きモノ。

ブログの書き方はエッセイ風が自分に合っている、という文章。

SEO対策としてHタグ、いわゆる「見出し」を活用するのは常套手段だ。Googleなどのエンジンのロボットは、広大なインターネットの世界を巡回していて、世界中にあるページをチェックしている。

このチェックとは、Webページを形作るHTMLという決まった書き方の要素(=タグ)を実際に見てもいるようだ。Hタグを活用するとそれだけ良いページと判断されるのだろう。ページランクなる点数のようなものがあって、良い点数を得ることができて、結果、Googleの検索結果の上位に出やすくなる。

上位に出やすくなると、それだけ自分のページを見てくれるユーザが増えるので、それだけビジネスにつながっていく。いくら良い商品を陳列していても、そもそも見てくれる人が少なければ売れないから、まずは見てくれる人を増やすというわけだ。

見てくれる人の何%かは買ってくれる傾向にある。統計学というやつか。物理的なお店だと広告とか呼子とかだろうが、オンラインではその呼子はGoogleだ。

ということで、ブログはどれもこれもHタグを活用している。正直、飽きた。読み手としても書き手としても。特に読む場合は、見出ししか読まない。挙句の果てには「続きはこちら」などとあって、本文は最初の数行だけで、その他は全部広告というページもある。広告費で稼ぐのは分かるが、書き手の都合100%のページ構成に辟易してしまって、ブラウザの閉じるボタンをプッシュ。

一方で、さくらももこ氏や益田ミリ氏のエッセイはとても胸がすく。淡々とした文章の中に、沢山のポイントが詰めてあって、読んでいて楽しい。

沢山の種類の文章があるなかで、個人的には「あぁ、これぞ文章」と思うものの一つだ。活字を楽しめる。楽しい。うれしい。読んでいて気持ちいい。なんとなく、寄り添ってくれている感じで、対話しているフィーリング。

ブログもエッセイのように書こう、と思った。Hタグのどうのこうのの煩わしさもないし、何より、読みやすいと思うから。

自分本位のブログというものを、稀有にも読んでくださる方のために作文してみる。これは楽しいチャレンジ。細いかもしれないけど長く続けようと思う。

ところで、逆に言うと自分の作文力がストレートに試されることのような気がするので、多少の緊張感もある。もう一度、さくらももこ氏や益田ミリ氏の本を拝読して勉強せねば。

「目標は紙に書いて・写真にして、壁に貼る」について、何度目かの考察。

どうやら人間は目先の、特に具体的なことにとらわれる生き物のようだ。

自分の夢や情念、人生の目的を考え明確にし、計画を立て、実現に向けて日々行動を起こせば夢や人生の目的は実現できるはずだ。仮に実現できないとしても、少しずつかもしれないけど近づくことはできる。

ただ、目先のことにとらわれるので、意味のあることをやっているようで(実際意味はあるのだろう)実際は他人のために自分の人生を使っていたり、夢の実現にはあまり関係ないことに多くの時間を費やしたりする。

そして、目先のことが「緊急度が低いけど、重要なこと」に取って代わってしまって、そればかりを必死で捌く日々で、結局自分に何も残らない、という結果になる場合もある。

やっぱり、絵や写真に残して、部屋の壁や天井とかお気に入りの手帳とかに貼ることは、とても大事だと思う。目先に忙殺されずに、自分を考えることができる、必要不可欠なメソッドだと思う。

具体的な話は「睡眠」だ。睡眠は削られがちだ。軽視されているわけじゃないけど、多少睡眠不足でもなんとかやっていけるからたちが悪い。きっと、悪影響は数年後や数十年後に出てくるのかもしれない。

僕も睡眠不足になりがちだ。睡眠負債はかなり溜まっていて、赤字で首が回らない状態なんだろうと思う。

睡眠不足になると、明らかにメンタルにも悪影響が出てくる。ネガティブな考えがそうじゃないときと比べると、より暗く、深く、そして自分の頭と体にまとわりつく。「創造」の真逆になっている自分を感じてしまって辛くなる。ネガティブスパイラルが始まる。

逆に、よく寝ると自分でも驚くぐらい簡単にポジティブになることができる。ネガティブ感情も、軽くいなすことができる。

自分のことがしょうがないと思ってしまうのは、分かっていながら時々繰り返してしまうことだ。

フィジカル、としてメンタルのコンディションを整え常に一定にしておくことは、プロフェッショナルの必須条件だ。自律できずに恒常的に成果を出すことが最低ライン。

もう一度、紙に書こう。そして、壁に貼ろう。

自分の人生を生きるために。