脚下照顧

相手に喜んでもらえるような良い仕事をした時は、たびたび頭に浮かんでくる言葉。

亡くなった祖父母の家の、玄関のポスト下に、この言葉の貼り紙がしてあった。意味が知りたくて幼いながらに辞書を繰ってみたら、以下の意味だと分かった。

自分の足元をよくよく見よという意。もと禅家の語で、他に向かって悟りを追求せず、まず自分の本性をよく見つめよという戒めの語。転じて、他に向かって理屈を言う前に、まず自分の足元を見て自分のことをよく反省すべきこと。また、足元に気をつけよの意で、身近なことに気をつけるべきことをいう。

おそらくだが、家の玄関のタイルがなめらかな石づくりで、特に雨の日は滑るから、足元に気をつけてください、という意味でも貼っていたのだろう。

だがしかし同時に、上記の意味でも使っていて、自分の戒めとしていたのではないだろうか、と思う。

祖父は昔気質の厳しい面がある人で、なるほど、今考えてもあの祖父なら書くだろう、と妙に納得しつつ、笑ってしまう。

そしてその言葉を気に入って、たびたび思い浮かべている自分は、やはり祖父の孫なんだ、という気持ちになって、どことなく嬉しい。

水たまりに触れる花びら

梅雨が明けたばかりの沖縄の一昨日は、まだ道が濡れていたり、水たまりがあったりした。ふと足元に目をやると、小さい穴の水たまりに、花びらが少しだけ触れていて、どことなく趣があって心に染みた。気がついたら写真を撮っていた。

脚下照顧の意味とは異なるかもしれないが、小さな世界に気づくことができたことと、この言葉を思い出した自分を、どことなく褒めてあげられる気がした。