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プロジェクトが炎上するって最悪。

ちゃんと、ある程度はSE側のことも知っておかないと、しっかりとした営業はできないなと反省。

今までは周りのSEに頼っていたから、問題なく進んでいたが、今回は事情があって案件が炎上。超炎上。

お客さんとの要件定義ができない状態が続いていて、かなりまずい状態。そんな状態で、営業として火消しのための奔走する日々。ゴリゴリの技術的な内容ばかりで、ついていけない自分が悲しい。

分野が違うから仕方ないといえばそうかもしれないし、今回のミスは自分が直接ではないのだけれど、同じメンバというか部下がやらかしたこともあって、火消しのために奔走。内容も分かっている必要はあるだろう。。

けれど、中身が分からないから、議論でもうまく発言できないし、プロジェクトを進めることも、できると思っていたが全然実力不足だったのか思う通り進められないのも悲しい。

輪をかけて、パワハラ的に罵倒されたのがしんどくなって、頭の回転が鈍っている。弱い自分もどうにかしたい。。

周りから責められて四面楚歌になるって、つらい。この経験をできたのは、(本来あってはならないけど、起こってしまったので)自分のスキルアップという面では、悪くはないのかもしれない。超前向きに考えたら。

それにしても、プロジェクトが炎上したら、人は倒れるし、新しい人は投入しないといけないし、投入しても本人は不満足な感じとなる。良いことがない。悲しい気分になる。

そんな中、前向きに頑張ってくれる仲間がいて、とても助かる。逆の立場になったら、必ず助けると心に誓う。

今回をしっかり反省して、二の轍を踏まないようにする。

不安や恐怖は、無知から来る。

仕事で部下がミスをした。大きな損害。

部下のミスは、マネージャである自分のミス。

社内(仲間)と思っていたメンバからも、パワハラ被害を受けて、部下はメンタルで倒れた。僕も結構というかかなりしんどい。

不安や恐怖に支配されそうな時も、ままあった。思考が停止する。解決策が見いだせない。

ただ、徐々に(本当の意味の)仲間も増えてきた。いろいろな提案をしてくれる。

そこで学んだことは、経験したり文献で調べたりして知識をつければ、今後の予測がたれられたり、解決策を検討できたりするということ。思考が進むこともあり、不安や恐怖が和らぐ。

経験がなければ、文献で調べれば良い。それは自分の努力でできるはず。

情報があれば、他の妙案も浮かぶかもしれない。浮かぶかもしれない、と思えるだけでも救いになる。

やっぱり、無知は罪であって、知識は絶対必要。

人が作業に没頭するシーンが好き。

ということが、最近わかった。理由はわからないけど、とても惹かれる。見入ってしまう。

もしかしたら、こういう状態になりたいっていう渇望があるのかもしれない。

ちなみに、パッと出てきた具体的なシーンは、以下の3つ。

  1. The Accountant
  2. The Social Network
  3. 騙し絵の牙

1は、主人公が不正経理チェックの仕事を依頼されて、15年分の書類を、一晩かけて片っ端からチェックしまくるシーン。(映画開始37分頃)

2は、おなじみのマークザッカーバーグ(Meta、旧Facebook)が、大学時代に、Facebookのもととなる「女性の写真の比較サイト」を構築するシーン。(映画開始8分頃)

そして3は、ヒロインの高野(松岡茉優)が、ある作家の居場所を突き止めるべく、過去の膨大な資料(その作家の全部の原稿)をチェックするシーン。(映画開始48分頃)

結構な年で、かつ自分のことなのに、新たな発見をするって、とても気持ちが良ものだ。

部下が大きなミスをした。

確かに大きなミスだった。

けれど、自分としては「まぁ、なんとかなるだろう」と思っているし、対処している。

その部下は(以降、A君とする)、20代の若手で、ある程度仕事もがんばっている。正論を真っ向から述べることのできるキャラ。

そんな彼は、ミスをしてから元気がない。20代とは、そういうものなのだろうか。

自分が20代の時は、どうだったのだろうか?

細部まで思い出せないが、ミスをしてから元気がない自分よりも、当時の上司にボコボコに論破され叱責され続けて、へこたれていた自分がいることは確かだ。そういう考えていると、そういえば、ミスをして落ち込んでいたこともあったように思えてきた。

自己肯定感が低い(低かった)僕は、ことある毎に、目の前の事象の原因は自分にある、と思っていたように思う。実際はそうじゃないのだけれど、一方的に、近視眼的に考えて、勝手に自分を追い込んでいっていたのかもしれない。

そう考えると、ある程度の余裕を持って対処できるようになったことは、成長していると言えるのだろうか。A君も発展途上だから、現時点ではまだ凹んでしまう、と考えることもできなくはない。

A君は、まだまだ自分が世界の中心で、狭い了見で物事を見るに留まっているのかもしれない。そして、時々耐えられなくなって、他責に逃げたり、半ば放り出すような対応をするのかもしれない。

本当に元気がない様子だけど、A君のキャラを考えると、一旦はそっと見守るのが良いだろうと考えて、必要最小限のタッチにしている。

こういう経験を経て、将来はもっとメンバを率いてくれることを期待する。

ちなみに、大きなミスなので、自分の辞表は常に用意して、社内説明やリカバリ検討など、事に臨んでいる。もちろん、部下には話していない。

ノートPCの魅力。

いつも思うけど、ノートPCという、たかだか20万円くらいの箱で、世界に挑戦できるって最高。

ちなみに、僕のPCはOSなしの中古をオークションで購入しているから、1.5万円くらい。

本当に良い時代に生まれたと思う。日々、感謝。

おもしろい雲。

会社の窓から、ほぼ毎日見ている景色。景色は本当に楽しい。時事刻々と変化していて、二つとして同じ景色がない。

今日は、とてもおもしろい雲を見ることができた。ラッキーだ。

おもしろい雲

職場の方からバナナをいただく。

敷地内になっていたからということで、職場の方(部下)からバナナをもらった。沖縄っぽくて、そしてそのご厚意に嬉しくなった。

バナナとキーボード

職場の机にて写真撮影。お気に入りのキーボードと共に。

バナナとキーボードの組み合わせ。なんてシュール。

日常生活で禅を感じる。

禅の考え方は日常生活で意識すれば体験できるはず。

禅の本質は「今、この瞬間を生きること」だと思っていて、言い換えると、目の前で起こっていることに集中することだと思う。なぜなら、人間は思考する生き物であって、無意識的に過去も現実も未来も、十把一絡げに思考して思考し続けているだろうから、その思考を「今、目の前で起こっていることに集中する」ことで、ある意味で「停止」させているのだろう。

僕の経験から、具体的には、例えば以下のように、何ら変哲もない日常生活の動作をするだけでも感じることができると考えている。

朝起きて、顔を洗う時。蛇口をひねる音、水が出る音、出た水が洗面台に当たる音、手で水を救う音、顔を洗ったときの水と肌が触れ合う音、タオルを手に取った時にタオルと手が触れる音…。

インスタントコーヒーを淹れる時、お湯を沸かすためにポッドを手に取る時の音、ポッドをガス代に置いた時のカチャッという音、ガスをひねって点火するときのチッチッチッという音、換気扇の音、お湯が沸こうとしている時の音、お湯が沸いたときの音、ポッドからカップにお湯を注ぐ音…。

音で雨が降っている。家のソファに座って、眼を閉じる。雨が降る音、降った雨が壁や地面に当たる音、車のエンジンの音、車のタイヤが濡れている地面に接して通過していく音、風が吹く音…。

こういう細かだけど、確かに発生する音を聞き逃すまいとすることでも、今この瞬間を生きることができていると思う。瞑想もできている気がする。頭の中がスッキリするときもある。

何気ない日常で感じることができるなら、時間とお金の費用対効果は最高だし、なによりこんなに幸せなことはない。

あしぶみ。

物事を成し遂げるには、自分の夢やビジョンを成し遂げるには、行動することが必要不可欠だ。

数々の本を読んで、行動しないことがリスクであることも分かって、成功してきた歴史上の人物はかならず行動していることも学んで、頭の中では理解しているつもりだ。

ただ、実際に行動できているかと言うと、不思議なことに、思うように行動できていない自分がいる。

時間が経過して、「あ、もうこんなに時が過ぎているじゃないか…」と焦ってみても、焦っていることに焦っての繰り返しで、行動すればよいものを、行動できていないくて、負のスパイラルに陥っている。

分かっていても行動していない。行動していないというか、もはや行動できないのだろう、とすら思って、自分が情けなくなる時がある。忸怩たる思いを抱く時がある。

足踏みをしているのだろうか、自分は。

いや、歴史上の人物も、きっと同じような思いを抱いている人はいるはずだ。これは足踏みじゃなくて、一歩を踏み出して踏み出し続けるための準備なんだ。

いずれ成功して、この日を、この文章を振り返って、微笑む時がくるだろうし、その時は自分の体験をもとにした「前に進むためのメソッド」を、周りにも示すことができているはず。

日日是好日。

小説かエッセイを書きたい。

ふと思った。今まで書いたこともないくせに。

前々からアートに興味があって、写真から、アートフォトを考えて活動しているが、自分の内面をさらけ出すというアートの世界に、より一層魅力を感じてきた。格好良く言うと「世界に挑みたい」とか、そういう心境だ。

さくらももこ氏の作品が好きで、「ひとりずもう」は、本当に何回も何回も再読している愛読書だ。内容もさることながら、さくらももこ氏の文章のきめ細かさ、表現の幅、ユーモアなど、圧倒的なセンスに惹かれている。

彼女のような文章を書いて作品を創造できるとは思わないが、初めて「こういう文章を書けるようになりたい」と思った。なれるか分からないが、やらなければ100%なることはできないから、書いてみることにする。もしかしたら、少しは近づけるかもしれないし、前に進みつつ、自分の独自のモノが書けるかもしれない。

人の心はとても繊細で多様でとらえどころがないから、「文字」という人間が発明したツールで表現するにはあまりにも適さないかもしれないけれど、だからこそ表現したいと思ってしまう。