月別アーカイブ: 2021年7月

【調査中】使えそうなAPIのメモ

API = Application Programming Interface のことで、簡単に言うと、YouTubeやTwitter、Instagramの機能を自作プログラミングできるようにするための部品のこと。各サービスが公開している。

久しぶりに開発みたいなことをやってみる。公開されているAPIでなにかおもしろいことができないか…。

まずはどういうAPIがあるか調べてみよう、ということで、今のところ見つけている情報源をメモがてら投稿。

Qiita)https://qiita.com/mikan3rd/items/ba4737023f08bb2ca161
Google Cloud API)https://cloud.google.com/apis/docs/overview?hl=ja
YouTube)https://developers.google.com/youtube/v3/docs/
TripAdvisor)https://developer-tripadvisor.com/content-api/

Trip Advisorは申請しないと使えないので、早速申請してみた。返事はASAPで来るようなので、楽しみに気長に待っておこう。なお、申請サイトはこちら→ https://www.tripadvisor.com/APIAccessSupport

いろいろアイデア考えている=妄想しているが、観光系はどうも自然と湧いてくるというか、リンクしてくるというか、思考の線上にくるので、何かしらトライする可能性が高いな、と思っているところ。

Twitter Dev 開発日記#1

consumer key, consumer Secret keyは、それぞれ、API Key, API Secret Key に名称変更となっている(前々から、API Key, API Secret Keyはカッコ書きしてあったみたいだけど、本格的に変更になっている)。

それと、Google Colab上でも、pip list | grep requests とか、Linuxコマンドが実行できる。びっくりした。うれしい。

というプチメモ。

Googleカレンダの設定と、判断は夜じゃなくて朝にすべしという教訓。

Googleカレンダには「マイカレンダ」という機能がある。用途ごとにカレンダ作成できる機能で、僕は「仕事」とか「自己研鑽」とか、そういうカテゴリで使っている。

このマイカレンダは、Googleカレンダの画面左側に表示されていて、順番は新しく作成されたものから上に表示され、かつ、順番はそのままだと変更できない。

なので、順番を変更する場合は、各マイカレンダの名称を例えば頭文字に「00」とか「01」とかナンバリングしてあげる必要がある。こうすれば、名前の先頭部分で若い順に表示されるので、ある意味、自分の好きな順番で表示させることができる。

このマイカレンダの順番は、地味なところで効いてくる。予約を新規作成した際に、どのマイカレンダなのかを設定する部分があるが、デフォルトで入るのが先頭のマイカレンダだし、選択する順番(リスト表示される順番)は、マイカレンダの表示順番なのだ。

個人的に一番厄介なのは「デフォルトの値」。何が厄介かというと、デフォルト値=先頭のマイカレンダが、他の外部アプリ連携時に自動で選択される、ということだ。具体的には、WebexというZoomと同類のWebコミュニケーションツールがあるのだが、GoogleカレンダとWebexを連携させて、Webexで会議予約・スケジューリングをすると、先頭のマイカレンダのカテゴリでGoogleカレンダに予約登録される(自動反映される)。

一つのカレンダのみを、他の仲間を共有しているのだが、どうも共有しているカレンダは優先して先頭に表示されるようで、名前冒頭に「02」をつけても、なぜか「01」が先頭に表示されない…。Webexの自動反映は、共有したくないのに…。

散々調べたけど情報がなく、どうやらマイカレンダの表示は柔軟に変更できず、上記のとおり、名前の先頭に数字をもってくることで対応するしかない模様。結局、こういうものだ、と断念。

失敗したのは、夜にこの作業を行ったこと。

とあるサイトには、以下の手順が紹介されていた。

1)対象のマイカレンダをエクスポート
2)対象のマイカレンダを削除
3)マイカレンダを新規作成
4)新規作成したマイカレンダに1のファイルをインポート

素直に従って、エクスポートして削除したのが運の尽き。どうやらちゃんとエクスポートされておらず、全部が無に帰してしまった(涙)

スクリーンショット 2021-07-12 22.58.18
インポート失敗画面。OKじゃないよ、本当…。

本来ならば、以下の手順を踏むべきだ。

① 対象のマイカレンダをエクスポート
② マイカレンダを新規作成
③ 新規作成したマイカレンダに1のファイルをインポート
④ ②のマイカレンダにデータが反映されていることを確認
⑤ ①のマイカレンダを削除

冷静に考えたら分かる話だし、普段ならできているのに、どうして…(涙)やはり、大事な決断や作業は夜ではなくて、朝に実施しべきだ。文字踊り、身にしみた(とほほ…)。

ま、仕方がない、良いネタができたということで、前向きにやっていこう。

それにしても、Googleのサービスにしては、あまり柔軟に設定変更ができないな、と思った。正直意外。もしくは、何かの考えがあって固定されているのか?痛い思いして、興味が湧いてきた。怪我の功名…か?

(追伸)
インポートできなかったのは、エクスポートしたファイル(Zip)のまま、インポートしようとしたことが原因だった。回答してicalファイルをインポートしたら、無事に復活させることができた。ふぅ、一安心。

【レポート】→これからの”ローカル×発信”を考えるイベント「地方移住クリエイターとして、暮らす。

今日20:00-21:15にて、note主催のイベント(本記事のタイトル)が行われた。

結論を言うと、現在地方に移住して活躍しているクリエイター2人から、移住してからの経験と、経験から感じていることや意見を聞くことができた、良いイベントだった。久々ヒットした。

2人とも、ローカルメディア=地方の情報発信をするクリエイターで、地道にコツコツ活動されつつ、地方での自分のポジションを確立して、しっかり仕事にされていた。

初めて自分が移住した時の話、地元の人にどういう具合に入り込んだのか、ポジションを確立するまでの苦労や確立してからの苦労、自分の仕事の成長・規模拡大や、これからやろうとしていること、なども言及されて参考になった。

また、僕からの質問も取り上げてもらった。

移住・定住のためには「仕事」は重要なファクタだと思います。お二人はメディア・発信系でちゃんと仕事されていますが、そういうスキルを持っていない人が移住するとして、できそうな仕事はありますか?実際に移住してみて思ったことを踏まえて教えて下さい。

回答としては「正直難しい。自分のいる地方にある仕事は、介護、農業、土木業など。そういう職に付けない場合は、例えばテレワークをするとかになる。難しい質問」とのこと。

この回答にはとても納得できて、僕自身も同じことを考えていた・考えているし、だからこそ起業的な要素のあるやり方が良い。すなわち「仕事を自分で作る」ことが大事だと思っている。

この点で言えば、今日登壇された2人は、どちらもメディア・発信のクリエイターとしてゼロから作り上げて活躍されているので、合致しているとも言える。

テクノロジーが進化していて、地方にいながらでも国内全域だけでなく、世界をターゲットにビジネス展開できる素晴らしい時代になっているから、むしろ地方だから成功しやすい、というモデルもある気がする。

ローカルビジネスにビットが立っていて、自分でも考えている僕としては、視聴できて多くの学びを得ることができた、良い機会となった。ありがたい。

脚下照顧

相手に喜んでもらえるような良い仕事をした時は、たびたび頭に浮かんでくる言葉。

亡くなった祖父母の家の、玄関のポスト下に、この言葉の貼り紙がしてあった。意味が知りたくて幼いながらに辞書を繰ってみたら、以下の意味だと分かった。

自分の足元をよくよく見よという意。もと禅家の語で、他に向かって悟りを追求せず、まず自分の本性をよく見つめよという戒めの語。転じて、他に向かって理屈を言う前に、まず自分の足元を見て自分のことをよく反省すべきこと。また、足元に気をつけよの意で、身近なことに気をつけるべきことをいう。

おそらくだが、家の玄関のタイルがなめらかな石づくりで、特に雨の日は滑るから、足元に気をつけてください、という意味でも貼っていたのだろう。

だがしかし同時に、上記の意味でも使っていて、自分の戒めとしていたのではないだろうか、と思う。

祖父は昔気質の厳しい面がある人で、なるほど、今考えてもあの祖父なら書くだろう、と妙に納得しつつ、笑ってしまう。

そしてその言葉を気に入って、たびたび思い浮かべている自分は、やはり祖父の孫なんだ、という気持ちになって、どことなく嬉しい。

水たまりに触れる花びら

梅雨が明けたばかりの沖縄の一昨日は、まだ道が濡れていたり、水たまりがあったりした。ふと足元に目をやると、小さい穴の水たまりに、花びらが少しだけ触れていて、どことなく趣があって心に染みた。気がついたら写真を撮っていた。

脚下照顧の意味とは異なるかもしれないが、小さな世界に気づくことができたことと、この言葉を思い出した自分を、どことなく褒めてあげられる気がした。