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「糸」

小学生のころから、とても不思議に思っていた。敵と味方ってなんだろうって。

例えば、同じクラスでもグループに別れたら「敵と味方」ができるけど、

クラス対抗戦とかだと、そのクラスの中では全員が「味方」、

学校対抗戦とかだと、その学校の中では全員が「味方」、

地区対抗戦とかだと、その地区の中では全員が「味方」、

都道府県対抗戦とかだと、その都道府県の中では全員が「味方」、

オリンピックとかだと、その国の中では全員が「味方」。

きっと、惑星対抗戦があるとしたら、地球の全員が「味方」。

すぐ近くにいる存在でも、少しの考えの違い=線引きの仕方で、敵にも味方にもなる。

すっごく不思議。不思議でたまらなかった。何がこうさせるのか。人間ってなんだろう?

その感覚って、3次元でありながら、味方によっては2次元にもなる「糸」のようなものだと思うようになった。頭の良い人たちは、その「糸」をうまく使ってプロバカンダしたり、政治したりするんだろう。

過去と現在と未来において、大多数の人のマインドを視点を意識を変えることができるとしたら、その「糸」について知ってもらって考えてもらう必要があるのではないか、と思う。「糸」に気づいてもらうことが良いのかどうかは分からないけど、正解かどうか分からないけど、きっと、自分が心底訴えたいのは「糸」についてなんだと思う。

だから、自分のArtは「糸」が根幹となるコンセプトになる気がする。絵を書いても、文章を書いても、写真を撮っても、きっと「糸」がコンセプト。

自分の気持ちを素直に表現すべきだと思った瞬間。

人間は環境にも左右されるので、気をつけないと、自分が自分でなくなってしまう。それに、ある意味盲目的に受け入れるようなるかもしれなくて、ややもすれば「あれ、何をやりたかったんだっけ?」という虚無感や焦燥感、喪失感に襲われるリスクもあると思う。

だから、定期的に、自分のやりたいことは素直に表現すべきだと思う。

作品、発言、日記、SNSなどなど。

表現・発信する方法は、今の時代は無限にあるし規制も(ほぼ)ないわけだから、自分の人生を豊かにするために、どんどん使い倒して、自分の気持ちを表現すべきだ。

やんばるアートフェスティバル2023−2024

沖縄県の大宜味村(おおぎみそん)で、今日から開催された「やんばるアートフェスティバル」のお手伝いに行ってきた。

お手伝いと言っても、写真を撮らせてもらうだけ。PRESS(フォトグラファ)として、少しだけ関わらせていただいた。

やんばるアートフェスティバル2023−2024

前回も同じように関わらせていただいたが、今回の作品も良くて、少しでも関わることができて嬉しかった。

イラスト、インスタレーション、写真、絵画。多数の作品が展示されていて、入場したら自由に見ることができる。

会場は、旧塩谷小学校がメイン会場だが、辺土名商店街やオクマプライベートビーチ&リゾート、やんばる酒造などの近隣含むエリアにも作品は設置されていて、それぞれの場所で楽しむことができる。

旧塩谷小学校以外は、数点の展示がある程度なので長く滞在するには向かないが、逆に、アートが地域に溶け込んでいる感じがして良い。

今回で7年目。これからも継続してほしいし、継続してこそ、やんばるにアートが根付くんだと思っている。

DX・スマートシティ関係で考えたことのメモ。

最近はNFTでのまちづくりの取り組みが盛んになってきていると思うけど、両輪で考えたいのは、やっぱり人材育成だと思った。

僕はテクノロジ大好きだけど、あえていうならば、テクノロジは所詮ツールであって、目的ではない。スマートシティの目的は「住民のWell-beingの向上」だ。そのためには、内発的な要素が必須だと考えている。

内初的な要素=自分の内側から湧き出てくる何かを明確にするために、必要なのは「思考」であって、

  1. アート・シンキング
  2. デザイン・シンキング
  3. ロジカル・シンキング

が、人の発育・発達状況に応じて活用することが、きっと大切。

NFTとかでのまちづくりは、関係人口の増加がだいたい目的になっていて、それはつまりテクノロジをプロモーションの材料にして、その地域の知名度を向上させることが第一義となっていると理解している。

かつ、新目のテクノロジを活用するってだけで興味を持ったり参加したくなったりする人がいるだろうから、知名度アップに加えて交流人口増加の期待・確率も高まるのかもしれない。

とはいえ、重ねるがやはりツールなので、飽きたり興味が薄れてしまうリスクもある。自分の外側から持ってきたものは、なんであろうとこうなる運命にあるように思う。だから、自分の内側から湧き出すなにかが必要だろう。

特にアートは、「自己探究、表現、創造」が本質だと思っている。そして、それらの行為は、自分との対話=自分の内面から出てくるものであって、場合によっては継続的に何かを生み出す人を育てることにつながるのではないか。

ひるがって持続性についても少し述べたい。資本主義で持続性を担保するためには、平たくいって「儲かるビジネス」になるかどうかが、非常に重要。人材育成のビジネスの難しさは、「効果が出るまでの時間が長い」「効果が出るか・習得したものをどう生かすかがイメージしづらい」「受益者と出資者が異なる場合がある」だと思う。

ただし、これも、これからの時代=Well-beingが注目される時代になれば、きっと社会の受け入れ方が変わったり、市民権を得られたりすると期待している。

ぐだぐだ書いたけど、やっぱり「アート・シンキングを活用した人材育成ビジネスを展開して、国力をあげる」ことをしたいってこと笑

テクノロジの進化がものすごい現代では、アートがやっぱり大切になると思う。

教育について記載してある本は多々あるけど、僕が一番オススメするのは、サルマン・カーン(サル・カーン)の「世界はひとつの教室」だ。

著者の造形の深さや頭脳明晰さがとても参考になるし、教育を歴史的観点から捉えつつも、現代においてテクノロジを活用した適した教育スタイルは何か?という目線で展開される。

ちなみに、著者は、かの有名な「カーン・アカデミー」の創設者だ。僕の教育関係のバイブルと言っても過言ではない。

界はひとつの教室 「学び×テクノロジー」が起こすイノベーション
https://amzn.asia/d/3I5xqBY

そんな中、孫正義の弟さんが書いた本について、本人が紹介している動画が結構参考になったので、こちらも紹介する。

テクノロジの進化はものすごくて、2022年11月30日に公開されたChatGPTは、2023年1月に1億人のアクティブユーザー数を記録したらしい。たった2~3ヶ月で。

普及速度がこれからもっと早くなると考えると、世界のほんのひとにぎりの人たちから、その他の多くの人々がついていけない世界になるんだろうな、と危惧してしまうけど、逆にそういう状況を捉えつつ、自分なりに咲きを読んで行動することに価値はあると思う。

写真の腕を上げよう。きっと、アートは人間に、もっともっと必要になるはず。

日常生活で禅を感じる。

禅の考え方は日常生活で意識すれば体験できるはず。

禅の本質は「今、この瞬間を生きること」だと思っていて、言い換えると、目の前で起こっていることに集中することだと思う。なぜなら、人間は思考する生き物であって、無意識的に過去も現実も未来も、十把一絡げに思考して思考し続けているだろうから、その思考を「今、目の前で起こっていることに集中する」ことで、ある意味で「停止」させているのだろう。

僕の経験から、具体的には、例えば以下のように、何ら変哲もない日常生活の動作をするだけでも感じることができると考えている。

朝起きて、顔を洗う時。蛇口をひねる音、水が出る音、出た水が洗面台に当たる音、手で水を救う音、顔を洗ったときの水と肌が触れ合う音、タオルを手に取った時にタオルと手が触れる音…。

インスタントコーヒーを淹れる時、お湯を沸かすためにポッドを手に取る時の音、ポッドをガス代に置いた時のカチャッという音、ガスをひねって点火するときのチッチッチッという音、換気扇の音、お湯が沸こうとしている時の音、お湯が沸いたときの音、ポッドからカップにお湯を注ぐ音…。

音で雨が降っている。家のソファに座って、眼を閉じる。雨が降る音、降った雨が壁や地面に当たる音、車のエンジンの音、車のタイヤが濡れている地面に接して通過していく音、風が吹く音…。

こういう細かだけど、確かに発生する音を聞き逃すまいとすることでも、今この瞬間を生きることができていると思う。瞑想もできている気がする。頭の中がスッキリするときもある。

何気ない日常で感じることができるなら、時間とお金の費用対効果は最高だし、なによりこんなに幸せなことはない。

「土を喰らう十二ヵ月」を観て、「ブルーピリオド」を読んで。

「土を喰らう十二ヵ月」を観た。去年の夏頃から気になっていたから、待ちに待った鑑賞だった。

感想としては「良かった」の一言に尽きる。

ネタバレしたくないから詳細は端折るが、「自分にとっての豊かな人生とは何か」を考えることができる、程よい余白(空間と行間)を持ちつつ最初から最後まで展開される映画で、落ち着きつつも、深いテーマについて味わうことができる良い作品だった。

帰宅して、今度は「ブルーピリオド」を読んだ。

アートについて書かれている大好きなマンガだ。こちらも気になっていた分野だし、分かりやすく書かれていて初心者な自分にとってありがだくも参考になる作品だ。今はITの分野をメインに身を置いているが、中学の頃は美術にも惹かれていたので、輪をかけて世界観に没入することができる。

どちらの作品も「思考する」ことが好きな人は、きっと気にいると思う。

Apple製品が好きなのは、日常に調和させる哲学があるから。

他の製品と違って、Appleの製品は生活の一部になる、人の行動の延長線上にあるという哲学を持ってつくられているから好きだ。

単なるハードウェアじゃない。人間の延長線上。

単なる制作じゃなくて、アートというか「美」だと思う。

哲学のある人たちが創ったものは、なんであっても共感できる。

やること。

「やりたい」と思うと、「やりたいを実現しようとする」から結局実現しない、と買いてある本があった。

なるほど。

その時から、「やりたい」ではなくて「やる」と言うように心がけている。

僕は「真面目に頑張る人が得をする社会をつくる」。

これが目標だし人生のゴールなのかもしれないと思っている。

理不尽なことを知ると、解決したいと思ってしまう性格。例えば、生まれ育った環境で人生の選択肢が狭まる現実があるとしたら、看過できない。

そのための方法として、アート×テクノロジーが、いや、もっと正確に書くと『アートとテクノロジーの調和』が必要だと考えている。

けれど、アート×テクノロジーが、もっと正確に書くと『アートとテクノロジーの調和』が根幹にある。

自分を顧みて自分の哲学を見出し行動するためにアートを、距離や時間を含めて環境の格差をなくしたり効率化するためにテクノロジーをそれぞれ使うことで、一人ひとりの行動が変わっていくだろうし、そうなる世界を僕は創る。