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年商1億円以上のビジネスをする。お金を稼ぐ。それが国力を上げることになる。

まちづくりビジネスを検討中。ただ、どうしても小規模になるし、労働集約型となってスケールしないと、悶々と考えている。

スケールしないことのデメリットは、利益を生み出し、拡大させることができないかも?という懸念がある点だ。(そもそも拡大しないといけないか?も並行して考えているが…)

対して、社会的な意義や貢献度は高い。特に、DXやスマートシティの文脈では、人材育成が課題の一つとなっている。最近、「自治体DX推進計画2.2版」が公開されていて(↓)、前版からは「DX人材育成」の部分がごそっと追加されている。

自治体デジタル・トランスフォーメーション(DX)推進計画【第2.2版】

社員を雇って、豊かな生活を送ってもらうためには、ある程度の給料を支払わないといけないだろう。優秀な人材にずっと活躍してもらうためにも必要だと思う。毎月の給料は、生活がかかっていて、マズローの5段階欲求で言うと下の方、すなわち、生きていく上での最低限の欲求だ。

ちゃんと計算する必要があるが、何となく年商億単位は狙っておきたい。

「人材育成ビジネス×⚪︎⚪︎」という具体に、組み合わせて考えるか。

全てがコモディティ化したとしたら。

テクノロジが超進化していて、そのスピードは増すばかり。行き着く先は、コモディティ化だと思っている。それは、資本主義社会においては、大多数の人が同じ年収レンジにいて、同じような資金・スタイルで生活をする、ということだと思う。

こうなると、単価の高いサービス・コンテンツは、表層的な欲望を満たすものに偏る気がする。即ち、観光、高級グルメ、高級品などだ。

対して、日常では単価が安いものがより好まれるようになるから、元気玉的なビジネスをうまく展開する必要がありそう。

と、ふと思ったのでとりあえずメモ。

DX・スマートシティ関係で考えたことのメモ。

最近はNFTでのまちづくりの取り組みが盛んになってきていると思うけど、両輪で考えたいのは、やっぱり人材育成だと思った。

僕はテクノロジ大好きだけど、あえていうならば、テクノロジは所詮ツールであって、目的ではない。スマートシティの目的は「住民のWell-beingの向上」だ。そのためには、内発的な要素が必須だと考えている。

内初的な要素=自分の内側から湧き出てくる何かを明確にするために、必要なのは「思考」であって、

  1. アート・シンキング
  2. デザイン・シンキング
  3. ロジカル・シンキング

が、人の発育・発達状況に応じて活用することが、きっと大切。

NFTとかでのまちづくりは、関係人口の増加がだいたい目的になっていて、それはつまりテクノロジをプロモーションの材料にして、その地域の知名度を向上させることが第一義となっていると理解している。

かつ、新目のテクノロジを活用するってだけで興味を持ったり参加したくなったりする人がいるだろうから、知名度アップに加えて交流人口増加の期待・確率も高まるのかもしれない。

とはいえ、重ねるがやはりツールなので、飽きたり興味が薄れてしまうリスクもある。自分の外側から持ってきたものは、なんであろうとこうなる運命にあるように思う。だから、自分の内側から湧き出すなにかが必要だろう。

特にアートは、「自己探究、表現、創造」が本質だと思っている。そして、それらの行為は、自分との対話=自分の内面から出てくるものであって、場合によっては継続的に何かを生み出す人を育てることにつながるのではないか。

ひるがって持続性についても少し述べたい。資本主義で持続性を担保するためには、平たくいって「儲かるビジネス」になるかどうかが、非常に重要。人材育成のビジネスの難しさは、「効果が出るまでの時間が長い」「効果が出るか・習得したものをどう生かすかがイメージしづらい」「受益者と出資者が異なる場合がある」だと思う。

ただし、これも、これからの時代=Well-beingが注目される時代になれば、きっと社会の受け入れ方が変わったり、市民権を得られたりすると期待している。

ぐだぐだ書いたけど、やっぱり「アート・シンキングを活用した人材育成ビジネスを展開して、国力をあげる」ことをしたいってこと笑

カフェとかの環境ノイズが、集中するのに丁度いいらしい。あとアートについて勉強中。

今日見つけた、良い環境音はこれ↓。

サンフランシスコに行きたい。仕事したい。

ところで、アートやアートシンキングについて勉強しているんだけど、やっぱり日本って遅れているって思ってしまう。

きっと、昔よりましになっているのだろうが、やっぱり日本人って外に目を向ける人が少ない気がする。

アートはとても大事だと思う。日本の「禅」とアートを組み合わせて(というか、禅時代がアートなんだろうけど)、現代の価値観や資本主義の形態にフィットさせたら、ビジネスができそうな気がしている。

テクノロジが超進化している現代とこれからは、人間が人間であるために、自分が自分であるために、どうするのか?を問われ続けるだろうし、それぞれが解を見出す必要があるだろうけど、見出し方が分からない人ばかりになると思う。

アートは絶対必要。これからの教育に。

雑談は大事。

雑談って、本当に大事なんだなって思った。

周りを知っておいて、そして自分のことも知っておいてもらえると、トラブルに遭遇したときに、協力を仰いで解決できる可能性が高まると知った。

個人のスキルではなくて、物理的な要素も大切。

一人よりも、仲間と取り組んだら、もっともっと大きな仕事ができる。

きっと、人間はOpenにBorderlessになっていく。 〜自治会と福祉団体のワークショップを経て〜

まちづくりの一環で、自治会(いわゆる、公民館。地域コミュニティ)と、福祉団体のそれぞれで、ワークショップを実施した。

テーマは「現状の課題と、まちづくりに期待すること」。大学生にも協力してもらって、みなさんと一緒にグループを作って、ディスカッションしてもらった。

結果、非常に良いディスカッションをすることができた。なぜなら、日頃つながりのない人たちをつないで、それぞれの立場を理解してもらうことで、お互いのメリットになったと実感できたからだ。

作戦は成功。世代間の地域交流は、みんなの役に立つ。

もともとの考えとしては、

大学生にとっては、社会のプレーヤとしての参画、社会貢献への第一歩、世代間ギャップからの学びがあるだろうからWinになるだろうと思っていたし、

自治会の会員(主に高齢者)と福祉団体のスタッフ(いわゆる障がい者の方々)にとっても、大学生とのつながりがないだろうから良い刺激になってWinとなるだろうと、

思っていた。

幸いにも、その考えはあたっていたようで、ディスカッションは盛り上がっていたし、実施後に、継続実施を希望といった反響もいただいた。大学生も、笑顔で積極的に発言してくれていた。

自治会の抱える課題は、会員を増やすこと。これが最も意見が多かった。会員を増やしたいけど、自分たち高齢者からは、若者に声掛けしづらいとか、年々減少する会員数への対策が打てないでいる現状があった。

対して学生からは、InstagramなどのSNSを活用することや、自治体ホームページへの掲載による呼びかけなどについてのアイデアが出ていた。

福祉団体とのディスカッションでは、障がい者といってもそれぞれの特徴があって、コミュニケーションを取る場合は、まずは自分がどういう障がいを持っているかを伝えることが大事など、正直、思っても見なかった意見をいただいて青天の霹靂だった。

ゆっくり話してほしいとか、絵を使ってほしいとか、漢字にはルビをふってほしいとか、コミュニケーションをするための条件・前提を伝えることが、まず重要で、だから、自治体職員が交代するのは結構なストレスになるんだ、ということも知ることができた。

すなわち、いかに僕自分が「目を向けてなかったか」もしくは「分かっている気になっていたか」を痛感させられたということであって、良い意味で大きなショックを受けた。

大学生も「知らなかったことだらけだった」と、決して後ろ向きじゃなく、前向きな反応をしてくれていた。

現場を知ること、現場で活動することの大切さを改めて実感したし、こういった活動を継続することが、本当の意味のまちづくりにつながるんだな、とも痛感できた。どうにかして、継続したい。

継続性と、ビジネスと、テクノロジと。これからの時代でも取り組み続けるためのアイデア。

実施後、興奮冷めやらぬ状態で色々と考えていた。一番のトピックは「なぜ、人は他人を知ろうとしないのか」ということだった。結論から言うと、「社会的なカテゴリって不要だな」ということ。

正直、実施する前は、「高齢の方や、障がいをお持ちの方と、普通に話せるだろうか?」と、一抹の不安を抱いていたのだが、やってみたら全くの杞憂だった。話してみたら、そんな不安など完璧に忘れていて、普通に話していた自分がいた。恥ずかしさを覚えるくらいの杞憂だった。

そういった景観と、ワークショップをやった結果から、「男性・女性」とか、「若者・高齢者」とか、「健常者・障がい者」とか、カテゴリの大事さを分かっている一方で、カテゴライズすることで、同じ人間でも価値基準や思考に影響が出て、あたかも違う人種のようになるのではないか? カテゴリの影響は大きいのではないか?と考えを巡らすようになってきた。

とどのつまり、「敵と味方」を作ってしまうので、めんどうなのだ。

仮に、カテゴリによって「自分とそれ以外」のようなボーダーを引いてしまっていて、引いてしまったせいで余計な不安や考えを抱くのだとしたら、行動することを躊躇する理由になっているとしたら、本当にもったいない。逆に、なければもっと行動しやすかったり、日常生活でもお互いにコミュニケーションしやすかったりするのではないだろうか。

人間が本能的・原始的にカテゴライズしたりボーダーを引いてしまうとしたら、理性的に教育という手段で乗り越える仕組みを作りたい。継続してみたい。そのためにも、ビジネスにしたい。

まちづくりは、継続することが大事だけれど、継続する体制を作って維持することは難しいのかもしれない。なぜなら、ビジネスになりづらいから。では、なぜビジネスと言っているかというと、資本主義社会においては、ビジネスが社会やステークホルダを幸せにする手段と僕は信じているから。

具体的に言うと、社会貢献などの「やるべきこと、一般的に良いこと」があったとしても、「その人の日常生活を支えてくれるものではない=お給料がもらえるわけじゃない」から、実施体制を責任を持って作って、継続運営する拘束力が弱い、ということだ。

よって、まちづくりもビジネスにすべきだと思っているし、一方で、規模の大きなビジネスにも、スケールするビジネスにもなりづらいだろうという逆の考えもあって、ジレンマに近い感情を抱く。

オープン、ボーダレス、各自のアクティビティについての社会的な信用の確立。そのためのNFT。

テクノロジが非常に進化していて、そのスピードも非常に速いし速くなり続けるだろうこれからの時代では、ビジネスのあり方を含めて、人間はもっとオープンに、ボーダレスになっていくのだろうと考えている。

そのためにも、NFTを活用したい。NFTは、個人のアクティビティを一意に証明できるテクノロジのはずだ。地域貢献活動に対して、その地域の自治体がお墨付きとして発行するNFTがあれば、各自は活動した結果を社会的信用をもって、大概的にアピールできるのではないか。就職活動とかにも活用できる気がする。

まちづくりは、ロングタームなビジネスとして伴奏型コンサルをしつつ、関係する人にも給与とNFTという形で還元する。場合によっては、各自の対外アピールもサポートすると良いかもしれない。ビジネス化できるのではないか?

継続して考えつつ走ってみよう。たのしいし、ワクワクする。行ける気がする。

説明資料に小ネタをはさむと、少しは楽しく聞いてもらえるかも?

主題とは別に、小ネタを入れると、思った以上に楽しく聞いてもらえるかもしれない。

全く違う分野でも良いし、類似の分野でももちろんOKで、聞き手が「へぇ!」と思うネタであれば、
・聞くための集中力をうまくリセット
・おもしろい話をする人だ、と印象づけ
・素直におもしろい
という流れを作ることができそう。

自治体の職員さんに、DXについて話をさせていただいているが、試しにポモドーロテクニックについて数枚のスライドを入れてみたら、反応が良かった。予想以上に。

自分は、教育系とか自分成長系のネタが好きなので、自然と楽しみながら資料作成できるし、話もできるから、ちょうどよいかもしれない。

産業と、地域内循環。(メモ)

産業とは、生活に必要なものやサービスを生み出す活動(かつどう)の総称。
例えば、農業、漁業、商業、工業、飲食業などがある。

「地域を強くする」ためのポイントは2つ。
1)地域で所得を循環させる
  → 地域の外へ所得(お金)が流出することを抑制
2)地域で所得を稼ぐ力を強くする
  → 地域内で稼ぐ産業を育てる

◆1)
流出を抑制する3つの対策
①地域の外から購入していたモノやエネルギを地域内で購入する
②地域ないの人材を雇用する
③地域の資金(資本)を活用する

◆2)
・地域の潜在能力を活かして産業を作る
・他の地域への製品の販売や観光客を誘客sることで、所得の流入を狙う

参考サイト

地域を強くする 地域循環共生圏
https://youtu.be/xfn0lwhTg18

アナログとデジタルの融合 〜人間にフィットした手段としての在り方〜

生成系AIとか、テクノロジの超進化で、大多数の人がついていけない時代。テクノロジはいずれ浸透するだろうし、活用しないと地域は生き残れないから、フィットするものが自然淘汰されてから浸透していくのだろうと考える。

補足すると、日本全体もそうだけど、地方であればあるほど、対策をとらないと、少子高齢化のせいで消滅していくから、テクノロジの活用が必須となる。

ただ、高齢者はついていけない率が高そうなので、テクノロジをうまくフィットさせる必要がある。こういう面でも、「アナログとデジタルの融合」がポイントになるはずだ。

テクノロジは単なる手段。なので、目指すものや理想を明確にしつつ、実現に向かって段階的に検討する必要があって、各段階で実現する手段としてテクノロジを活用する。

ここで、単なる手段として扱えば、水と油のようになってしまうので、そうではなくて、混ぜ込ませるのが良いと思う。ライフスタイルの新しい形にする。

今年は、イベントや研修とかで、この考えを実現できるか試そうと企画している。どうなるか楽しみ。

【追記】

こういうことを考えると、アップルの哲学やデザインが頭に浮かぶ。

以下の記事も、参考になった。

【独自】デザインで大切なことは、全て「アップル」に学べ