自分の気持ちを素直に表現すべきだと思った瞬間。

人間は環境にも左右されるので、気をつけないと、自分が自分でなくなってしまう。それに、ある意味盲目的に受け入れるようなるかもしれなくて、ややもすれば「あれ、何をやりたかったんだっけ?」という虚無感や焦燥感、喪失感に襲われるリスクもあると思う。

だから、定期的に、自分のやりたいことは素直に表現すべきだと思う。

作品、発言、日記、SNSなどなど。

表現・発信する方法は、今の時代は無限にあるし規制も(ほぼ)ないわけだから、自分の人生を豊かにするために、どんどん使い倒して、自分の気持ちを表現すべきだ。

MacbookでExcelを快適に使う方法の模索。

WinとiOS(今回はMacbookでの操作なので、以降Macbookと書く)では、Excelを使う際の操作方法が異なる。若干の違いだが、大きな効果を生む。

例えば、セルの編集。WinだとF2を押せばOKだが、Macbookはデフォルトで輝度調整の機能がついている。

なので、MacbookでExcelのセル編集をするには、右下のfnキーを押しつつF2を押す必要があって面倒。

fnキーを押さずともF2を有効にするには、「システム設定」>「キーボード」>「キーボードショートカット」>「(左側の)ファンクションキー」>「F1,F2などのキーを標準のファンクションキーとして使用」をONにすればOK。

これで、Winライクに操作ができて便利。

ただ、ここで難点を挙げるならば、Macbookのファンクションキーに当てがわれてる、輝度調整などの機能も便利でよく使う、ということだ。

特に、輝度の調整と、音量の調整。実は、僕は多用していたということが分かった。さて、どうしよう…。

ということで調べていたら、Ctrlキーを活用するという手段もあることに気がついた。

  • Ctrl + U → Excelのセル編集
  • Ctrl + o →  文字入力時の変案を半角英数にする(F10と同様)
  • Ctrl + i → 文字入力時の変換を全角カナにする(F9と同様)

よくよく思ば、Ctrlキーは全然活用できていなかった。特に、MacbookだとAの隣に位置していて、(くやしいけど)Winのキー配列になれている僕としては、使いにくい位置にある。

とはいえ、一方ではAの横に配置してあるからとても使いやすい、という人もいるし、英語配列だとAの横だ。駆使すれば、作業効率が上がるかもしれない。

ということで、ちょこちょこCtrlキーの使い方も調べて慣れていこうと思う。

Macのキーボードショートカット

やんばるアートフェスティバル2023−2024

沖縄県の大宜味村(おおぎみそん)で、今日から開催された「やんばるアートフェスティバル」のお手伝いに行ってきた。

お手伝いと言っても、写真を撮らせてもらうだけ。PRESS(フォトグラファ)として、少しだけ関わらせていただいた。

やんばるアートフェスティバル2023−2024

前回も同じように関わらせていただいたが、今回の作品も良くて、少しでも関わることができて嬉しかった。

イラスト、インスタレーション、写真、絵画。多数の作品が展示されていて、入場したら自由に見ることができる。

会場は、旧塩谷小学校がメイン会場だが、辺土名商店街やオクマプライベートビーチ&リゾート、やんばる酒造などの近隣含むエリアにも作品は設置されていて、それぞれの場所で楽しむことができる。

旧塩谷小学校以外は、数点の展示がある程度なので長く滞在するには向かないが、逆に、アートが地域に溶け込んでいる感じがして良い。

今回で7年目。これからも継続してほしいし、継続してこそ、やんばるにアートが根付くんだと思っている。

伊芸サービスエリアからの景色

車を持っていないから、なかなか遠出に行かない。今日は用事があって大宜味村まで行ってきた。

帰りは伊芸SAで一休み。今日は天気が良くて、綺麗な夕日を拝むことができた。ラッキー。

キャパシティ。

定性的な表現は、それぞれの感覚による。

  • がんばっている
  • いそいでいる
  • 焦っている

など、そういう感情的なものの表現は、話し手と受け手の理解に差が生じる。

おもしろいのは、話し手も受け手も、それぞれの定義で話をして、それぞれの定義で受け取って、それを不思議だと思わないから、お互いが意思疎通できていると場合があることだ。

ミス・コミュニケーション。けど、ミスじゃないコミュニケーション。

よくよく話を聞いて、できるだけ定量的に、具体的に確認し合うと「あれ?そんな程度だったの?全然忙しくないじゃない、それって」ということが起こる。

キャパシティの問題ってのもあるのかもしれない。

そして、さらにおもしろいことは、そういう定性的な表現やコミュニケーションの方が、人を感動させられる・共感させられるかもしれない、ということだ。

定量的な表現はとても分かりやすいけど、どうも左脳で受け取る感じ。

定性的な表現は、あやふやなことが多いけど、共感を得られる。

人間っておもしろい。l

自分本位。

人の気持ちも考えず、自分のために人に好き勝手言う人っているんだなって思った。びっくりした。良い大人が何をやっているんだ、と。

ただ、実はそう言う人の方が世の中多いのかもしれない。

人間、誰しも自分が一番可愛い。

けど、相手を慮って言動するって、社会を生きる人間として、必要最低限のマナーな気がする。

余裕がなくなると、匂いも味もしないくなるんだな。

インスタントお味噌汁の、ワカメの匂いが分かった。

トイレの芳香剤の匂いが分かった。

お味噌汁は、インスタントだけど、「ワカメ」とか「長ネギ」とか書いてあって、微妙に味や具材が違うのを楽しめると思って買ったのに、全然違いが分からなかった。もっと言うと、匂いもなくて、「まぁ、インスタントだから仕方がない」と思っていた。

トイレは、可愛い紫色のキャラの芳香剤を発見して、ラベンダーも紫色も好きだからと、珍しく買ってみたのはいいものの、使ってみたら「ん?全然匂いがしない。換気扇のせいか?」と思っていた。

そのどちらも、匂いがした。正確には、匂いがしていた。

きっと、切羽詰まっている今の自分が、食事をしていても、用を足していても、目の前のことではなくて、違うことに集中していたり、意識を向けていたりするから、気づかなかったのかもしれない。まさか、五感を凌駕していたのか、自分の思考は。ネガティブな感情に囚われていたようだ。

人間、余裕が大事だなって、思った。

焦燥感。

何もできない自分と、どんどん進めていく周りのメンバ。焦る。

比較してしまって、焦る。自分が小さいと思うし、何もできていないと思うし、だから居場所がないと感じてしまっている。焦る。

下の根っこの喉の奥を、小さな手でグッと掴まれいてる可能な咽頭部の違和感。胃がキュッと上がったままな感じ。胃液も上がってきて、今にも口の中に広まりそう。

日中は頭がぼーっとするし、今にもふらついて倒れそうになる。

肺は痛い。1年ほど前に自然気胸になった。その時は、左肺だったけど、今は、左肺も右肺も痛い。万全じゃない状態がここ1ヶ月は顕著だ。

こんな状態だけど、どうにかしたい気持ちは空回って、焦る。どうにかしたい、本当にどうにかしたい。

周りに迷惑をかけていることも分かる。何も貢献できていない自分に対して、白目をしている人もいるような気がする。陰口を叩けれているのは確実。大人になって、こういう体験をしようとは思わなかった。

辛い。

ただただ辛い。

「命までは取られないから」と周りは言う。けど、その周りもどこまで信じていいのか分からなくなる時がある。人間不信に陥っている?

いつかわ終わるとか、前向きに考えろとか言う人もいる。暗闇から抜け出せる時がくるのだろうか。

きっとくる。そう思っては、もがいて、もがいて。

きっとくる。そう思わずにいられないし、もっと窮地を打開した人はたくさんいるだろう。だから、きっと大丈夫。自分は運がいい。

そう思っては、次の瞬間には暗い気持ちになる。その繰り返し。

これが「良い経験だった」と笑える日が来ることを切に祈る。きっと乗り越えられる。

きっと、日はまた登る、はず。

貢献できないってとても寂しい。

炎上案件が始まって4ヶ月ほど。お客さんも癖があって、サポートメンバも続々増えていて、誰もが対応したくないと言っている状況。

自分の案件ということもあり、周りには本当に申し訳ないと思っている。少しでも貢献したいとか打破したいと思っているのだが、経験がない業務で全然力になれない。

思考が停止している自分に気づく。忸怩たる思いに支配される。

週末に、気晴らしにNetflixで「ダンジョン飯」なるアニメを見た。おもしろかった。

第2話で、ハンドレークを引っこ抜いた魔法使いのマルシルが、「みなさんのために、何も力になれないのは寂しいです」と言っていたのが刺さった。今、そんな気分。

それにしても、ダンジョン飯ってこのアニメ、人気が出ている模様。Yahooニュースでも、以下のとおり取り上げてあった。

<ダンジョン飯>“残念エルフ”マルシルのかわいさが詰まった第2話「千本木のアホ演技が良すぎる」「じわじわ来て吹き出す」と声優にも絶賛

マルシルのキャラが良い。喜怒哀楽が明確で、自分の気持ちを率直に表現するのが、なんとも気持ち良い。自分が我慢しまくっているから、余計に魅力に感じるのだろうと思う。

声優(千本木さん)の演技も素敵。

第三話目以降の楽しみ。こういうマンガに出会えてよかった。