随筆、散文。

エッセイって何だっけ?と思って調べてみる。

随筆、と出てくる。さらに調べてみる。

散文、と出てくる。さらに調べてみる。

情趣がない文章、と出てくる。要するにおもしろみがない文章、ということらしい。

何を持っておもしろみがある・ないと言うかは気になるが、もうこの辺で調べるのを辞めた。

思ったことは「やはり言葉は気持ちを伝える道具としては完全じゃないし、むしろ不器用なんだろう」ということ。

しかし一方で『だからこそ先人がこれまで気づきあげてきた叡智があるもの』とも思えた。

「気持ちを完全に伝えることはできないかもしれない」が、『言葉だから伝えることができる気持ち』もあるのではないか。

エッセイは、そのための一つの手段だと思っているし、だからこそ「おもしろみがない」とは言わせたくない。

時代は移り変わっている。現代での「おもしろみがない」は、昔とは異なるはず。

こう考えると、程よいガッツが湧き上がってきた。エッセイという文化をさらに押し上げるとかだいそれたことは考えていないが、それでもそういう類の一部になる気持ちで書いていこうと思う。